私たちは自分の身体を自由に使うことができます。手を動かそうと思えば自由に動き,物をつかんだりすることができます。行きたい所があれば,歩いていくことができます。いろいろなものを見たり,聞いたり,味わったりすることができます。ですから,自分の身体は自分のものであると思いがちです。
しかし,「心臓の鼓動を少しだけ止めてみて下さい」と言われても,止められるものではありません。病気になりたくなくても,病気になってしまいます。寝ている時なども自分の意識と関係なく,しっかりと呼吸をしています。一見して自由に動かせる体ではありますが,実は自分の意識では動かせない部分が多くあります。
人間の身体というのは,実に多くの精巧な工夫の固まりでできております。軽くすりむいても自然治癒力で勝手に治ってしまいます。一度ウィルスに冒されても,免疫ができて再び病気にかかりにくくなったり,暑い時は汗が出て体温を下げようとしてくれます。意識をしていないところで,身体は生きるための働きをしてくれています。
このようなすごい働きを持つ身体を私たちは使っているわけですが,これは両親の工夫で作られて与えられたものではありません。まして自分で考えて身体を作ったわけでもありません。
私たちは自分の身体は自分のものであると思いがちですが,人間の身体というのは親神様からの借り物なのです。私たちは,親神様から身体を貸して頂いて,使わせて頂いているのです。
人間の身体だけではありません。この世界にある物すべては親神様からの借り物であります。例えば,商店で魚を300円で買ったとします。しかし魚自体の値段は本当にあるのでしょうか。自分で釣ってきたら無料です。300円という代金は,漁師さんや市場の人や商店の店員さんたちの労働力に支払われているのです。この世界にあるすべての物は無料です。ただ,手にする過程でいろいろな人たちの協力があるので,その対価を支払っているのです。すべての物は無料で親神様から貸して頂いているのです。
そのように考えると,この世界はとてもよく工夫されてできていることに気づかされます。月がひとつ無いだけでも生命が地球に誕生できなかったでしょう。月がなければ潮の満ち引きがなくなり海流が生まれません。海流が生まれなければ気流も生まれません。水と空気の循環がなければ呼吸もできないので,生命は活動することができません。月は夜空にきれいなだけではなく,地球上の生命に対しても絶大な影響を持っているのです。
これだけのすばらしい物を親神様は私たちに貸し与えて下さっていますが,心だけは自分の物であるとお教え下さいました。心は自分の自由に使うことが許されていますが,しかし親神様の御心に添わない心の使い方をしていると,親神様は何らかの形でお教え下さいます。それは病気であったり,災難であったりと,いろいろな場合があります。我々はそれを「身上」「事情」に「さわり」があったと考えさせて頂きます。
すべての物は親神様からの貸し物でありますから,都合の悪い物は全くありません。それにも関わらず,人間は悩み苦しむことがあります。それは親神様の御心に添うように教えて下さっているのです。ですから,病気も親神様が心づかいの反省を促そうとお教え下さっているのだと考えられます。親神様の御教えをしっかり心に治め,これからの心づかいを改めるよう心を定めれば,病気も救けられます。
また,人間はいつか死ぬ時が来ます。我々はこれを「出直し」と言わせて頂いています。人間の死は神様からの借り物である身体を抜け出て,新しく身体をお借りすることから,出直すという意味です。人間の魂は生き通しなのです。ですから,死ぬことも神様からの御守護であることもあります。親神様の目から見れば,死んで生まれ変わることは,古い着物を脱いで新しい着物を着るようなものだと聞かせて頂いております。ですから,親神様が新しい着物を着せてやろうと思われれば,人間は出直すのです。ただし,自殺はいけないことです。親神様からの借り物を傷つけ壊すことは,親神様がお喜びになるはずがありません。
人間は親神様から多くの物をお借りしていますが,そのご恩をどのように親神様にお伝えすればよいのかと申しますと,やはり陽気ぐらしに他なりません。人に喜んでもらえるように働き,それを親神様に見て頂いて喜んで頂くのです。これを「ひのきしん」と言います。ひのきしんをして親神様に喜んで頂けるようつとめていくことが,かしもの・かりもののご恩報じになるのです。
親神様からお借りしている物にレンタル料の値段をつけるとするならば,それはとんでもない金額になることと思います。それだけ高価な物をお借りしているのですから,ひのきしんで親神様に喜んで頂けるよう,つとめさせて頂きたいですね。